「ちちの自宅出産体験記」あみちちさん川崎市
「ちちの自宅出産体験記」 川崎市 あみちちさん
1. ある日のこと
ある日のこと、それがいつだったかも忘れましたが、私がぼんやりとテレビを見ていると助産師さんが自宅出産をサポートしている番組を放送していました。その助産師さんが二子玉川から電車に乗っているのを見て、妻に「今度うちに子供ができたらこの助産師さんに頼もうか」とほとんど軽い気持ちで話していました。当時娘は4歳。二人目のことは特に意識せずに成り行き任せという感じでいるころでした。
2. 始まりは突然に
2003年の1月になり突然妻の妊娠が判明しました。妻は妊娠すると急にアルコールに拒否反応がでるので、妻が「何だかお酒がおいしくない」と言い出した瞬間に、妊娠検査薬を購入に駆け出し、早速検査したところやはり陽性反応が出ました。そうは言っても二人目ということもあり、「ぬかよろこびはよそう」という結論に達し、当時は溝の口に住んでいましたので、駅前のレディースクリニックで検査をしてもらったところ妊娠が確認できました。
まあ、正直言って最初はそんなに期待していなかったこともあり心の準備ができていなかったため、何だか実感が湧きませんでした。
実際の検診は産婦人科で行わなければいけないとのことでしたので、やはり近くの産婦人科に行って検診をしてもらったところ、妻いわく「痛かった。あんなところで産みたくない!」。さーどうしましょう。他の病院をいろいろと探したのですが、「やはり家から遠いところは上の娘のこともあるし嫌だな~」とかいろいろと妻と相談しているうちに、突然妻が「わたし、自宅で産みたい」と言い出しました。私「え゛~、どうして~」。妻「だって、昔言っていたじゃない」。私はすっかり忘れていました。自分の言ったことなんて。私「本気?」、妻「本気だよ」、私「じゃあ、そうしよう」。良き夫を自認する私としては妻の申し出を無下に断ることなんかできません。もちろん。しかし頭の中はぐるぐる回っていました。「本当に大丈夫なんだろうか!?」。
3. 純子先生との出会い
妻がインターネットで調べて純子先生のコンタクトを見つけました。普段はのんびりとしている妻ですが、こういう大事なところではやはり頼りになります。そこでアポを取り純子先生のところに話を伺いに行くことになりました。当日は何だか気持ちのいい部屋に通され、純子先生の話を真剣に聞いている妻と無邪気に遊んでいる娘を見ながら私は「本当にこのまま進んでいくんだろうか」とまだ思っていました。
4. な、なんと...
4月にはいると私の仕事も忙しくなり、なかなか純子先生のところや王先生の病院に付き合うこともできずにいましたが、妻は教えていただいた食事療法を始めており、昔から興味はあったようでしたので実にまじめに取り組んでいました。また、病院で「子宮口が開き気味なので絶対安静にしていないと手術をしなければならなく」とか「前置胎盤気味です」とかいろいろと言われたりしましたが、妻は食事療法を信じ、非協力的な夫と少しわがままになってきた娘とを抱えて頑張っていたようです。
そうして妻のおなかも大きくなってきた6月ごろ、私は会社から突然転勤の話を持ちかけられました。しかも行き先はシンガポール。赴任時期は7月から8月とのことです。「あちゃー」私は思いました。実は一人目のときも出産直前に海外転勤となり、さらに出産に立ち会おうとしたけど間に合わなかった経験があるのです。妻は「私はそういう運命だから...」と言っていました。しかしながら、「まあそうは言っても仕方がない。行ってくるよ。」ということで私は8月1日にシンガポールに向け旅立ちました。引越し準備やら何やらで妻は普段以上に大変だったと思います。この時期は特に。
5. そしていよいよ...?
予定日が9月4日であったこともあり、私は8月31日に帰国する予定を立てていました。ところが妻から電話があり、「実は早く生まれるかもしれない」とのことです。どうやら整体の先生にそう言われた様子。「早ければ8月31日になりそう」と言われた私はフライトの予定を急遽早め、8月29日の深夜便で日本に帰国することにしました。もちろん今度こそは絶対に立ち会うぞとの気合を込めて。
日本には早朝に着き急いで家に帰りました。妻は「ちょっとおなかが張ってきた」と言っていましたので、これはそんなに待たずに生まれるなとちょっと安心しました。
31日はそのまま何もなく過ぎ、妻は元気そうです。9月に入り、1日、2日と過ぎますがあまり気配はないようです。そうこうしているうちに本来の予定日である9月4日も過ぎてしまいました。当時は私が娘の幼稚園の送り迎えをしていたのですが、最初のうちは「もうすぐ生まれるんですよ~♪」と明るくお母さんたちからの質問に答えていたのですが、予定日を過ぎるころになると、「まだなんですよぉ」と言いながら心の中では「こっちが聞きたいぐらいだよ!」と言っている自分がいました。
シンガポールへの戻りを9月12日に設定していた私はそろそろ焦りだしました(もちろん顔に出さないようにですが)。「このまま生まれずに私は帰る羽目になるのだろうか」と思い始めていた、9月7日の午後に妻にちょっと強いおなかの張りがやってきました。
6. 待ちに待った瞬間
おなかに強い張りがきたので、純子先生に連絡をとるとすぐに来てくれるとのこと。妻はまだかもしれないと言っていましたが、純子先生は「とりあえず行きます」と言ってくれたようです。前の日から妻のお母さんが手伝いに来てくれていたので、あまりすることのなかった私は、ビデオとデジカメの充電をしたり娘と遊んだりしていました。
純子先生が到着して診察してくれましたが、「もしかしたら今日生まれるかもしれない」とのこと。俄然あわただしくなってきました。それでも、「では生まれる前に記念写真を!」ということで写真をみんなで撮ったりしてはいました。娘が夜8時ごろに寝ついたときには既に妻の陣痛はかなりきつい様子でした。純子先生に「お風呂に入ったら少し楽になるよ」と言われた妻は1時間ほどお風呂に入っていました。お風呂の中で妻は半分うとうとしていましたが、急になんだか「ピキッ」って音がしたと言い出しました。そこでお風呂から上がり純子先生に診察してもらうと、「これは今晩生まれそうよ」とのことです。サポートの助産師さんも来てくれて、もう準備は万全です。妻はベッドの上でちょっとつらそうです。
夜の11時過ぎに強い陣痛がきました。純子先生は「一番楽な体制になればいいよ」と言ってくれたので、私につかまる体制や横になる体制とかいろいろとしていました。そうこうしているうちに本当に強い陣痛がきたようです。私は妻の手を握っていましたが、妻は握るというよりかもう、つかまっているという感じで本当につらそうでした。「いた...........い」とか細い声で妻は言っていました。私はその様子をビデオに撮ろうとしましたが、「いや....だ」と言われましたのであきらめて手を握っていることにし
ました。
そうして何度か息んでいると、頭がちょっと見えてきたようです。私のポジションは横向きで寝ている妻の枕もとで手を握っている状態なので、良くは見えませんでしたがどうやら親指で作った輪ぐらいは頭が見えてきたようです。でもその時の妻の痛そうな表情を見て「今これだけ痛いならこれからどうなってしまうんだろう」と本当に心配していました。それから頭がかなり出てきて、妻の息む声にも力が入ってきました。そうして頭がほぼでたところで、純子先生が隣りの部屋で目を覚まして起きていた娘を呼びました。娘は「立ち会いたくない」とずっと言っていたのですが、その時は素直に来て子供が生まれる瞬間をじっと見つめていました。
頭が全部出たところで、純子先生がぐるっと赤ちゃんの体の向きを変えたのが私のところからも見えました。そして両手を赤ちゃんのわきに入れて、「ずるっ」と赤ちゃんを引き出しました(そういう感じに見えました)。でてきた赤ちゃんはすぐに泣き出して、純子先生は妻の胸のところに赤ちゃんを持ってきてくれました。正直私はびっくりしました。もっと血まみれになっているのを想像したものですから。ずるっと出てきた赤ちゃんはそのままタオルに包まれて妻の胸の上で泣いていますが、白くて全然汚れていません。へその緒がつながっているのが何だか不思議な感じでした。しかし元気そうに泣いている赤ちゃんを見て本当に安心しました。結局生まれたのは9月7日の午後11時50分ということになりました。
娘に後日、赤ちゃんが生まれてくるとき何を考えていたのか聞いたところ、「赤ちゃん頑張れ!」と応援していたとのことでした。親が心配するより子供はしっかりしているものだと改めて感心しました。
7. そしてへその緒
純子先生の指示で、臍帯血(さいたいけつ)が流れきるまではへその緒を切らないとのこと。「流れきるまでの時間は15分から2時間くらいと全然まちまちなんですよ」との話を、ふんふん言いながら私は聞いていました。我が家の場合は結局2時間くらいかかりましたが、臍帯血が流れるにつれて最初は白かった赤ちゃんがどんどん赤みを帯びていくのがよくわかりました。また純子先生がへその緒を触らせてくれたので、まだどくどくと脈打っているそれを感じることができました。そして最初は苦しそうに息をしていた赤ちゃんが、自力で器官と肺の中にたまった液体を吐き出し、すーすーと呼吸を始めたときには何だか本当に生命の力強さと神秘みたいなものを感じ、月並みですが感動しました。
結局、深夜2時過ぎに臍帯血が流れきったのを確認し、いよいよへその緒を切ることになりました。私の出番です。純子先生がこことここの間を切ってくださいと指示をくれてはさみを渡してくれたので、結構簡単に切ることができました。まあ、すでに臍帯血は流れていなかったので、へその緒を切る際に出血することがなかったというのが、一番平常心を保てた理由だと思います。感想としては結構手ごたえがあるなということです。感触としては、一夜干しのイカくらいの感じですかね。
無事へその緒切断の儀式も終わり、やっと体のサイズを測ることができます。身長は52センチ、体重はなんと3550グラム。純子先生が出産前に妻のおなかを触りながら、「これは結構大きいわね。3500くらいはありそうよ」と言っていたのがまさにそのとおりでびっくりしました。
娘はまだ起きていたので、一緒に記念撮影をした後、お義母さんが寝かせに行きました。その後、純子先生は胎盤の処理をしたり、母体及び赤ちゃんの様子を見たりしてくれて、最終的には午前4時過ぎまでいてくれました。こうして長い長い一日は終了しました。赤ちゃんは今すぐにでも母乳を飲む勢いで、サイズが大きいだけに元気だねとみんな感心していました。
8. その後および感想
2日後に赤ちゃんの名前を花夏(はなか)と決め、無事出生届を出してからシンガポールに戻ることができました。全体の感想としては、やはり自宅出産をして結果的によかったなということがあります。まあ夫としての感想なので多少無責任なところはあると思いますが、まず自宅だと周りのものを自由に使えるということがあります。水がほしいとかお湯がほしいまたちょっとした道具が欲しいというときに自宅であれば簡単に手に入れることができますが、病院だといろいろと気を使いそうですからね。また、娘を立ち会わせることができたのも非常によかったです。
特に今回はお産が深夜だったので、病院だったら難しかったと思います。娘にとってもきっとかけがえのない経験となるのではないでしょか。あとはやっぱり安心感ですね。今回のケースでは純子先生が夕方からずっとついていてくれたおかげで我々も常に様子を確認することができ安心でしたし、きっと妻もかなりリラックスできたのではないかと思います。また自分のベッドですし、病院のベッドに寝かされて出産するのとはやはり緊張感という意味では大違いなのではないかと思います。あと、私個人としてはもっと出血があると思っていたので、あの程度の出血なのであれば(というかほとんど出血らしきものはなかったと思います)自宅でも全然問題ないなと思いました。
今回の出産で純子先生始め皆さんには非常にお世話になり、いくら感謝しても足りないくらいですが、おかげで妻の頑張る姿をまじかに見ることができ、また赤ちゃんの生命力のすごさも目の当たりにすることができ非常に有意義な経験ができたと思います。
また、妻には彼女がきちんとした食事療法を行っている横で無神経に大酒を喰らい、砂糖及び添加物がたくさん入った食べ物をぱくついていたことをここで深くお詫びしたいと思います。今回、結果的に安産となったのは皆さんのサポートのおかげであるのは当然ですが、妻の日常の頑張りというものも非常に大きかったのではないかと思っています。
最後にこうして皆さんのサポートで無事生まれることができました花夏ですので、これからも家族みんなで食事に気をつけて頑張って、元気に仲良くやっていきたいと思っています。
助産婦から…
あみちちさん、早速の体験談ありがとうございました。マキさん(奥様)は、妊娠中から、本当にいろんな問題を乗り越えて、よく頑張られましたね。食事のことも、まじめに取り組んで下さったので安心でした。感性もとても素晴らしく、妊婦健診では、ご自身が感じられたことや、あみちゃん(お姉ちゃん)の赤ちゃんに対する様子など、いろんなお話を聞かせていただくのが楽しみでした。そして、出産の場面でも、その結果がちゃんと出ましたね。本当に良かった!自宅出産は、とてもハードルが高いんですよ。つくづくそう思います。生半可な気持ちでは出来ません。本当に健康体でないと無理。しかも、ご家族の協力が絶対に必要。その点も、とても楽しい、温かいご家族の雰囲気で、訪問させて頂くたびに、私の方が幸せな気分にさせていただきました。ありがとうございました。花夏ちゃんは素敵なお姉ちゃんと、ご両親のところに生まれてきて、本当に幸せですね。また日本に帰ってきたときは、ぜひ遊びに来て下さい。大きくなった花夏ちゃんとあみちゃんに会えることを楽しみにしています!
<助産師 斉藤純子>
「お産はすてき!」 yumiさん 横浜市
横浜市 yumiさん 平成15年
私は初めての我が子を純子先生に取り上げてもらいました。その時の感動をみなさんと分かち合えれば、とても嬉しいです!
実は、自分が自宅で出産するとは夢にも思っていませんでした。妊娠時から近くにある総合病院に通院していましたが、「何かが違う」と心の中でずっと感じていました。
何度も転院を考えましたが、思うような病院に出会えず、なかば諦めてかけていました。
ところが、ある健診日。何気ない医師の一言に大変ショックを受け、ここは自分の居るべき場所ではないことを痛切に感じたのです。待ち望んで授かった大切な赤ちゃんを、納得できる環境で主体的に産みたいと思いました。
お産は一人ではなく、夫婦でするもの。産まれる瞬間に、ぜひ夫に立ち会ってもらいたいと強く希望していました。
「何もできないぞ」といいながら、夫はいつも励ましてくれました。
一念発起して転院を決意したものの、もう産まれちゃいそうな身重な妊婦をどこの病院が快く引き受けてくれるでしょう!?
なんと臨月を間近に控え、はちきれんばかりの大きなお腹をしていたのです!
困りました。でも、悩んでいる暇などありません。そんな折、偶然純子先生の存在を知ったのです。しかも同じ横浜ではありませんか。これは神様のお導きに違いないっ!と早速、連絡を取ってバースハーモニーへ伺いました。
そこは一見、普通のおうちでした。純子先生は自然体で、温かく迎えてくれました。でも正直なところ、自宅出産にはかなりの抵抗を感じていました。できれば、提携病院で自然出産できないものか、と考えていたのです。
「自宅は楽よ~」と笑顔で話す純子先生の言葉に、最初は半信半疑でした。が、帰る頃にはすっかりその気になっていたから不思議です。
「家で産もう」と決めました。自分と赤ちゃんの生命力を信じてみよう。直感的に、「これでいいんだ」と思いました。ようやく信頼できる人に出会え、心はウキウキ。気がつけば、スキップをしながら軽やかに?(のつもり)家路へと向かっていました。
自宅出産について家族は心配しました。戦前は家で産むのが当たり前でしたが、いまや自宅出産の割合は全体の0.1%以下と聞いています。しかし私の熱意に最後は温かく応援してくれることになりました。
出産まであとわずか。お産は産ませてもらうものではなく、自分でするものです。もともと玄米は好きで食事には気をつけていたつもりですが、マクロビオティック料理法に基づき食生活を改革しました。
赤ちゃんと自分の命がかかっているわけですから、真剣です。整体で体を整え、ブリージングに参加し、料理を学び、自然出産へと備えました。これらはどれも貴重な体験となりました。
いよいよ予定日。けれども一向にその気配はありません。焦る私とは対照的に、赤ちゃんはゆったりと構えているようでした。
親の思い通りにはならない、赤ちゃんには自分なりの意志があるのだ、ということをその時学びました。
そして予定日より2週間遅れ、誕生の時がやってきました。早朝になって陣痛が規則的になってきたので純子先生に連絡。
今日中には産まれるだろうとのこと。陣痛の間隔が次第に短くなり、ウエーブのように次から次へと押し寄せてきました。
これまでに味わったことのない腰の強烈な痛みを感じながら、適宜姿勢を変え呼吸に集中します。もし分娩台の上で自由に身動きが取れずにいたら、どれだけ苦しかったことでしょう。夫はずっと私の手を握り、励ましてくれました。朦朧とした意識の中で、赤ちゃんがぐるんと回転して出てくるのがわかりました。
「あ~、産まれた!」臍帯はつながったまますぐにお腹の上に赤ちゃんを乗せてくれました。赤ちゃんのぬくもりが伝わってきます。
私は感動で言葉にならない声を上げていました。赤ちゃんはとても静かで穏やかです。新しい命の誕生に、部屋中が深い感動に包まれました。出血もごく少量で、「赤ちゃんってこんなにきれいなんだね」と夫は感心していまし
た。
寝入っているわが子があまりにも愛おしく、その晩は眠ることができませんでした。あまりにも静かなので、途中何度も寝息を確認したほどです。
今、すぐ横には7ヶ月になる息子が笑顔で戯れています。この幸せは何ものにも変えがたい、人生の宝です。
純子先生をはじめ、kazzさん、井上先生、まささん、王先生、協力してくれたみなさん、この場を借りて心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
そして、いつも私を支えてくれた夫や家族に改めて感謝の気持ちを伝えたいです。
お産は素晴らしいものです! 妊娠中、出産の不安や痛みへの恐怖がなかったといったら嘘になります。何しろ初めてのことですから。でも心の声に従い、偶然に導かれ、最良のお産ができたと信じています。
このお産を通し、自分自身が再生された気がします。
これから出産を控えておられる方々、どうぞご自身と赤ちゃんを信じて素晴らしいお産を迎えてください。大切な家族に囲まれて産まれてくる赤ちゃんは、たくさんの愛を受けて人生を出発できるのです。
みなさんの幸福を心よりお祈りしています。
すっかり長くなってしまいました。拙い文章に最後まで目を通していただき、ありがとうございました。
助産婦から…
yumiさん、もう7ヶ月なんですね。赤ちゃん、大きくなられたことでしょうね。体験談を読みながら、あの日の映像が脳裏によみがえってくるのが不思議でした。よく頑張りました。予定日超過ぎりぎりのところで、自然に陣痛が来て、本当によかった!静かな赤ちゃんを見て、心配そうにしていらっしゃったyumiさんのお顔、思い出します。初めての出産が人生に新しい風を吹かせてくれて、素晴らしい贈り物を受け取られたyumiさん。 そのお手伝いをさせていただけたことに、心より感謝いたします。 ありがとうございます。これからも、是非バースハーモニーに遊びに来て下さいね。お会いできるのを楽しみにしています。
<助産師 斉藤純子>
「自宅出産体験記」川崎市 くみさん
川崎市在住 くみさん 平成15年自宅出産
予定より10日以上早いある晩、「おしるし」があり、鈍~い整理痛のようなものも感じ始めました。助産師の純子さんに連絡すると、「前駆陣痛」ということ。そのときは初産であり、経過からもだいたい予定日通り、あと1週間から10日以内に産まれるのではということで、経過をみることになりました。
「おしるし」「前駆陣痛」について知識がなかったので、慌ててマタニティ雑誌をチェック。人により、すぐお産になる人、1週間くらい後にお産になる人がいる。「前駆陣痛」と「陣痛」は全く違う痛みなので、間違う人はいないので安心して過ごしましょう、と書かれていました。
翌日も、鈍い整理痛もどきは続き、夜には「ズキズキ」とした痛みに変わっていました。それでも、「前駆陣痛」って痛~い。これが1週間も続くとなると、大変だなあ。とのんきなもの。それまで、つわりや体調不良がほとんどなかったので、少しは妊婦っぽいわ。と思ったり。あまりの痛さに「記念に前駆陣痛もどんな間隔で耐えたか、記録しよう」と間隔を測ったところ、「1分間隔」。何となく、便意があったのでトイレへ。「出そうで、出ない」(下世話な表現でスミマセン。。。)トイレからも、出るに出られない。時々、激しく痛み、ちょっと声も出てしまう。それでも、便意をすっきりさせなくてはと、粘る。
夫がドア越しに「何か変だよ~。純子さんに電話したら?」「いや、もうすこしで出そうだから!」と繰り返すこと数分。「間違ってたらオレが謝るから、電話するよ!」「いや、もう出るってば!」
先ほどの「1分間隔」は、陣痛でした。子宮口も全開だったそうです。「前駆陣痛」と「陣痛」を間違うことはないというのは、うそです。初産の人にとってはどちらも初体験。痛みなんて十人十色。後から振り返れば、痛む箇所が子宮そのものから、子宮口のあたりに変わっていたのですが、そんなこと気付きませんでした。(便意と思ったくらいですから・・・)経過は、うるさがられても、随時記録しておくべきですね。純子さん、近くでよかった~。
「このままだと、トイレで産む事になるから、移動しよう。」ということで、純子さんと夫に支えられ、ズルズルとベットへ。立会う自信がないと言っていた夫ですが、何の準備もしていなかったので、「あれはどこ?」「これを出して」と言われるまま、誰よりも忙しく動き回ってくれました。
その後も、「今休んだら、子どもの頭の形、悪くなりますか?」「いつ頃、子宮口って全開になりますか?」(もう全開だってば!)など、マイペースなわたしに「いいよ。いいよ。上手。上手」と声をかけてくれ、とっても温かい手で、ずっとおしりに手を当てていてくれた純子さん、矢ヶ部さんのおかげで、ゆったりした気持ちのまま、出産することができました。
呼吸は、井上先生のマタニティーヨガで習った「基本呼吸」がわたしにとって一番、深くゆったりできたので、これを使い、他にマタニティースイミングで習った「息継ぎ」と合わせるだけでよかったようです。
穏やかにこの世に顔を出したベビーは、5ヶ月になった今もいろいろな方に「元気だけど、穏やかな子だね」と声をかけられます。
食事はマクロビオテックが何であるか?ということを知ったのが数ヶ月前ということもあり、かなり「なんちゃってマクロ」でしたが、松本先生、真織さんの料理教室での指導、真織さんの激ウマスイーツの販売に助けられました。
産んでから、動きたくても動けない、やりたいことができないジレンマ。夫に八つ当たりしてしまったとき、ブリージングの前田さんの怪しげな(?)心和む笑顔がボワッと思い出され、「なぜ八つ当たってしまったか」と冷静に考えることが出来ました。また、前田さん(奥様)による「抱っこ法」も妊娠中、子どもは快適に過ごせていたか、不慣れな子育てで負担をかけていないか?という不安を取り除いてくれるものでした。
今、育児休暇中なので、バースハーモニーのワークにちょくちょく顔を出しています。ここで知り合った方たちとのおしゃべりが、初めての育児で戸惑ったり、不安定な気持ちになっている私を大いに助けてくれます。最後まで、自宅出産を心配していた夫も「君はBHで産んで本当によかったね。自宅出産ということだけみると心配だったけど、結果は自分も君も子どもにとっても、いい状態で迎えられたし、何より、BHで出会ったいろいろな人に今もずいぶん助けられているものね。病院ではなかなかこういうつながりってもてなかっただろうね」と言っています。
本当にみなさま、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
H16.6 記
助産婦から…
くみさん、本当に近くで良かったです。
前日頂いたお電話から、随分連絡がなかったので、どうなったかなあと気になっていたところに、いきなりご主人から「トイレに入ったきり30分も出てこないんです…!」とのお電話。すぐ行きます、と答え、多分10分以内に到着したと思います。そして、トイレで、頭が押してきているのを発見した時は、正直言って焦りました。陣痛はじまってたのね、、、っていうか、もっと早く電話しておくれ…!
でもその後、ベッドに移動した後は、彼のペースでゆっくりゆっくり出てきましたね。こうちゃんらしい生まれ方でした。
産後も、バースハーモニーのイベントに皆出席され、後に続く妊婦さん達に、先輩としていろんなアドバイスをしてくださって、ありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いします。
こうちゃんのマイペースな穏やかな表情を見ていると、本当に嬉しくなってきますよね。貴重な体験をシェアーして下さって、ありがとうございました。
<助産師 斉藤純子>
「しあわせ出産体験記」 えみこさん 町田市
町田市 えみこさん 平成14年
私は妊娠36週(出産3週間前)まで、とても小さな産院に、そこで産むつもりで、 通っていました。
その頃、唯一同じ産院で産む予定だった知人が出産し、お見舞いに行くと、信じられ ない話を聞かされました。
できると言われていた立会い出産を受けてもらえず、仕方なく廊下で待っていると、 邪魔だと病室に追いやられたお父さん。 正常な経過を辿っているのに、風船みたいな機械を入れられ、無理に産道を広げられ たお母さん。 あたりまえのように、ミルクを飲まされている赤ちゃん。
私が望んでいた出産とは、あまりに遠い現実でした。
わたしは、できるだけ自然に産みたいと思ってはいたけれど、自宅出産は夢のまた夢 くらいに感じていました。 しかし、現実がここまでひどいと知って、病院で産むことが怖くなってしまい、主人 に相談してみると、やはり病院は変えたほうが良いという事になり、さらに自宅出産 に関しても、意外な事に大賛成でした。
テレビで純子助産師さんの存在は知っていたので、ダメもとで電話してみると、とて もていねいに対応してくれて、話を聞いてくれて、私はもう絶対に受けてもらいたい と強く思いました。 実際に会ってみて、受けられるかどうか見極めてくださるという事なので、3日後 (36週5日目)に主人と二人でルンルン気分でバースハーモニーに向かいました。 そこで、私の体質や、妊娠の経過などを診てもらい、さらにマクロビオティックや、 砂糖の事など教えていただいた上で、めでたく受けてもらえる事になりました。
それはそれはもう、天にも昇る気分でした。
そこからはもう、特急ハーモニー号に乗ったかのごとく、すべてが滞りなく、あっと いう間に進んでいきました。
まずは、提携病院の問題で、今まで通っていた産院はあまりにも小さすぎ、設備も 整っていないという事で、自宅に比較的近い市民病院に、純子さんがお願い してくださいました。 すると、「どうぞ、どうぞ」という嬉しいお返事が返ってきましたので、前の産院か ら貰った診断書を持って診察と検査を受け、「自宅出産しても大丈夫だろう」という 診断をいただきました。(37週1日目)
次は、自宅の場所の確認の為に、純子さんと篠原さんが健診に来てくださいました。 (37週5日目) 翌日はブリージングで、呼吸について、また誕生に関するとても面 白いお話を聞く事 ができました。(37週6日目)
そして、38週目に入ったその日、早くも出産しました。
初めて純子さんに電話した日から、たったの2週間の出来事でした。 まさに、特急ハーモニー号!しかも超安産でした。
9月6日朝7時、破水して目を覚ましました。 前期破水か早期破水かと疑いましたが、とりあえず陣痛を待ってみる事にしました。 主人はすぐに純子助産師さんに電話しようとしましたが、私は暢気にも「斎藤さんの お宅はお子さんが4人もいて、朝7時はちょうど忙しい時間帯だから、もう少し様子 をみよう。」と言いました。 主人はそういう問題じゃないだろうと思ったそうですが、お産は時間のかかるものだ という事で、とりあえず待つ事にしました。
10分くらいすると、陣痛らしき痛みがありましたが、それがもうかなり痛いので す。お腹も痛いけど、骨盤と尾骨が何か変な感じに痛いのです。少し便意に似た感覚 もあります。 いつも読んでいた本に、「陣痛は自然なもの。来なかったら困るんだから、陣痛が来 たら喜んで受け入れなさい。」と書いてあったので、不安を感じる事はなかったので すが、純子さんに電話をかけている主人を尻目に、ただの下痢だったらどうしよう と、また暢気な心配をしていました。
「陣痛がきたら、お風呂に入ったり、入院の準備をして、楽に過しましょう。」と、 本には書いてありましたが(こんなちょっとしかない陣痛の合間に、入院の準備だな んて、みんなすごいな~。)と思い、間隔を測ってみたら何故か、もう5分くらいに なっていました。 主人が部屋を片付けて、布団と出産時に使う医療用のシーツを敷いてくれました。 そこに寝て陣痛の間隔を測ってみると、どういうわけか3分でした。私は時計が壊れ たのかと、疑いましたが、どうやらそうではない様子。 それから、どんどん痛みが増していくので、こういう時は呼吸法だと思いましたが、 予定日より2週間早かった為、まだあんまり勉強していませんでした。仕方が無いの で、ゆっくりと深い呼吸をするようにしました。
主人が会社に電話を入れて、今日産まれるからしばらく休む事を伝え、それから、タ オルを沢山用意して、純子さんに渡された衛生用品をソファーの上に並べてくれまし た。 そして、私が落ち着くように結婚式の時に2人で手作りした、お気に入りのCDをかけ てくれました。 カメラを用意して主人が戻って来ると、私は陣痛をこらえながら、意外と冷静で「私 の事はいいから、犬にご飯をあげて。お腹を空かせてるよ。」とか、「ベビーバスも 洗ってないよ。」とか言っていました。
準備を整えて、再び主人が戻ってくると、突然吐き気がして、タオルの上に吐いてし まいました。痛くて、痛くて苦しいから自然に体に力が入ってしまいます。これでは いけないと思い、ブリージングの講習の時、先生が「恥ずかしがらずに、声を出しな さい」と言っていたのを思い出して、声を出してみる事にしました。 主人はずいぶん落ち着いた様子で「大丈夫、大丈夫」と言いながら、腰をさすってく れました。
9時頃になると、更に痛みが増して、何か股の間に挟まっているような感覚がしまし た。骨盤と尾骨が強く痛みます。 私がさすがに怖くなって、「どうしよう、もう何か挟まってきてるよ。純子さん間に 合わないかも。怖いよう。」と言うと、主人は、相変わらず落ち着き払った様子で 「大丈夫だよ。大丈夫」といいました。
誰かが来た気配がし、母が入ってきました。 純子さんから電話があり、駅からタクシーに乗るところでした。陣痛の間隔は3 分。母が、電話している主人の代わりに手を握って、腰をさすってくれました。結構 強くさすってくれたので、とても楽でした。「できるだけ力を抜いてくれって言われ たんだけど、どうすれば力抜ける?」と聞きましたが、母にもわからないようでし た。更に意識して声を出して呼吸するように努めましたが、自然にお腹に力が入って しまって、なかなかうまくできません。それでも、やらなければ産まれてしまうと 思って、続けました。
9時半頃、純子さんと篠原助産師さんが到着しました。それまで不安だった気持ちが 一気に晴れて、楽になりました。 純子さんに「もう、いきんでもいいですか?」と聞くと「いいよ。」と言われたの で、仰向けの姿勢で、母が左手、主人が右手を握ってくれ、純子さんと篠原さんが2 人で足を抑えてくれました。私はもう嬉しくてがんばっていきみました。
私は陣痛の合間、また暢気に「もし、ウン○が出ちゃったらごめんなさい。そしたら 誰にも言わないでね。」と言って笑われました。純子さんは「大丈夫よ。よくあるか ら事だから。」とやさしく言ってくれました。 たくさん声を出していきんでいると、「すごい、すごい。上手よ。」と言ってくれま す。 それがすごく嬉しくて、一生懸命いきみました。 すると、純子さんが「無理にいきまなくっても、自然にしてて大丈夫よ。」と教えて 下さいました。 お産とは不思議なもので、自然にしていれば、体が勝手にいきみます。でも、無理に いきんでいた時よりは、すごく楽になりました。
結婚式の時の音楽が心地よく聞こえてきて、すごくリラックスした感覚です。
「頭がもうこの位見えてきたよ。」と純子さんが指で100円玉 くらいの大きさを示 してくれました。私は(おお、見えてきたか。よしよし。)と思って、「見え、隠れ する状態ですね。それって何て言うんでしたっけ?」と聞くと、「排臨っていうの。 よく勉強してるのね。」と誉めてくださいました。 それから幾度かいきむと、「すごい、すごい!もうこんなに進んだ。」という純子さ んの声が聞こえたので、私はワクワクして「今、どのくらいですか?」と聞いてみま した。純子さんは「このくらいよ。」とピンポン球くらいの大きさを示してくれまし たが、私は少しがっかりして、「まだそんなかぁ。今すっごい進んだと思ったの に。」といいました。 すると「ここはゆっくり、ゆっくり進むものなのよ。この間の人なんか、この状態で 6時間もかかったんだから。」と言われて驚いてしまいました。
それからまた、幾度いきんだでしょうか、純子さんが「もう頭が戻らなくなった よ。」と教えてくれたので、私は「発露っていうやつですね。うれしいなぁ。」と言 いました。 それからだんだん広げられていく痛みで、もう話している余裕はなくなりました。 痛くて痛くて仕方ないので、我慢せずに「痛いよ、痛いよ!でも大丈夫。がんばる よ。」とか、ワケのわからない事を叫んでしまいました。 それは、「痛い」と叫ぶ事が、決して弱音ではない事を主張したかったのではないか と思います。
痛みは更に増していき、陣痛の痛みとは別に、裂けるような痛みがあります。 「もう頭が出てきてるよ!」と純子さんが教えてくれ、母と主人が覗き込み、「本当 だ!頭出てるよ!もうすぐだよ!」と励ます声が聞こえました。 そしてもう1度、裂けるような強い痛みに耐え、「痛い、痛い、痛いよーっっ!! !」と大きく叫ぶと、朱莉の頭が出て、すぐに体も出てきたようでした。
ほどなく「ふにゃー、ふにゃー」という弱々しくて、可愛らしい、赤ちゃんの泣き声 が聞こえてきました。 病院では普通、気道吸引をして呼吸をさせますが、私の赤ちゃんにはそんなものは必 要無く、自分の力でちゃんとできました。 純子さんが私のお腹の上に赤ちゃんを乗せてくれました。
私は、言葉では言い表す事のできない様な、何だかとても幸せな気持ちになり、涙が 出ました。 「あー、無事に生まれて来てくれて本当に良かった。」 誰かほかの人も言っていたけれど、怒涛のような感動じゃなくて、じんわりした幸せ が湧き出てきて、家の中いっぱいに満たしていく感じがしました。
そのまま、へその緒の拍動が止まるのを待ちました。これも、病院ではすぐに切られ てしまうけど、純子さんはちゃんと待っていてくれます。胎盤はまだ、赤ちゃんに必 要なものを送ってくれているのです。これはこの子が育っていく上でとても重要な事 なのだと純子さんが教えてくれました。 拍動は15分くらいで止まり、へその緒は主人が切りました。これで私の体が、赤 ちゃんにしてあげられる事はすべて終わりました。
主人もとても嬉しそうです。「よ くがんばったね。」って私をほめてくれました。 胎盤は、出産後15~20分で出てくる人が多いようですが、私の胎盤はとても立派 だったせいか、1時間も出てきませんでした。 羊膜もすごく丈夫にできていて「赤ちゃんよく破れたね。」って純子さんが誉めてく ださいました。と言う事は、どうやら前期破水や早期破水ではなかったようで、安心 しました。 私は、少し前に出産した従姉が早期破水、微弱陣痛で帝王切開になったので、破水が とても怖かったのです。
私の初めてのお産はこうして終わりました。 陣痛を感じてから、約4時間の超安産でした。純子さんがおっしゃるには、10分間 隔の陣痛の頃、私は眠りこけていたという事らしいです。更に、甘い物を我慢した甲 斐があったのか、出血も130mlとほとんどありませんでした。 もともと、お産に対しての不安はほとんど無かったけれど、こんなに楽しく安産でき たのは、環境や、周囲の人々の理解、家族の協力、すべてに恵まれていたからだと思 います。
すべての人や物に感謝します。
そして自分は自然に産める力を持っていると信じる事、自分の子供は自然に生まれる 力を持っていると信じる事がとても重要であったようにも思います。
私は口では「何があるかわからないから」と言っていたけれど、本当は強く信じてい ました。 私が「もう少しだけ待ってちょうだい」と思っていても、朱莉はどんどん産道を進ん で挟まってきたのです。 という事は、医療どころか、私が手伝わなくっても、赤ちゃんは自分の力だけで、生 まれて来れたのではないかと思えて、嬉しいです。
それから、純子さんに言われた穀物菜食を、たった2週間ですが、本当に忠実に行っ た事にも寄ると思います。 甘いものはすべてダメなのだと誤解していた私は、産後1ヶ月まで砂糖どころかサツ マイモやトウモロコシなど、舌が甘いと感じるものはすべて口にしませんでした。 自然食品店の存在すら知らないから、砂糖を使っていない煎餅なども手に入らない。 よって、おやつはオニギリのみ! この時の私は、自宅出産ができるという喜びに満ち溢れていましたし、バースハーモ ニーで出産する人はみんな忠実に同じ事をやっているのかと思っていたので、まった く辛い思いはしませんでした。 それに、初めから病院にどのような出産をするのかという事を、深く問い詰めていれ ば、こんなに急にお願いするような事にならなかったはずだと、自分のだらしなさを 深く反省し、これ以上純子さんに迷惑をかけまいと、必死でした。
今はもう、色々な手の抜き方を覚えてしまったので、とても楽にやっていますが、あ の頃に知っていたらチビチビと食べてしまったのではないかな~と、思いますので、 こういうのを「知らぬが仏」と言うんだなっと勉強した気分です。
それにしても、決して諦めずに出産に対して贅沢になって本当に良かったです!!
えみこさんのご主人の体験談
「Let it be あるがままに」
私たちは、自分達が自然体であるよう願ってきました。その理由は恐らく、中身の無い見せかけだらけの世の中に飽きてしまったからだと思います。綺麗で味の無い野菜、化学調味料づけのアンバランスな食事、安くてもすぐ壊れる道具、症状を抑えるだけの医療・・・これらに惑わされる原因は、情報の欠如と、本質を見抜く力の不足にあると考えます。(般若心経では、前者のような事象を「色」、後者のような道理を「空」として説明しており、これらの関係を理解することで全ての悩みから開放されると説いています。)
これは、私たちの出産においても当てはまりました。人類は何万年も出産・成長を繰り返してきたにもかかわらず、近年極端に人工的な出産が増えていることに危機感を覚え、可能であれば、本来人間があるべき自然な出産を願っていました。しかし、いざ出産するにあたり、どの産婦人科病院が良いのか、それとも助産院が良いのか、私たちにとってどのように情報を得ればよいのかわからず、結局は最寄りの産婦人科医院に頼るしかありませんでした。幸いにも、妊娠中の妻と子供の健康状態が非常に良かったため、「どうなるかわからない」という不安を持ちながらも、その産院で出産する前提で準備を進めていました。
その頃、以前より妻が通っていた市の母親学級にて、妻は同じ産院で出産予定の友人と知り合い、いろいろと相談していました。その友人は妻より1ヶ月前にその産院で出産し、幸運にもその方から産院の様子を伺うことができました。なんと、正常経過にもかかわらず無理やり産道を広げられ、時間どおりの出産を強要されたとの事。さらにご主人は約束のはずの出産立会いを断られたそうです。
友人からこのような話を聞かされ、私たちが望む出産とは程遠い産院であることを知り、妻は大きなショックを受けました。このときすでに出産予定日の1ヶ月前であり、産院を変更するにも大きなリスクがありました。しかし、不安を抱えたままの出産で悔いを残すぐらいならば、例えうまくいかずとも悔いの残らない出産にチャレンジした方が良いと思い、産院の変更を妻に勧めました。妻はその時から、距離が遠くなれどもできるだけ理想に近い産院を必死で探しました。その中、6月に偶然見ていたバースハーモニーの紹介番組で妻が感動を覚えたことから、ここが妻にとって最も理想に近い助産院であろうことを知っていました。自宅出産やこの助産院が高嶺の花とは思いながらも、駄目で元々と考え、私たちはバースハーモニーの門戸をたたきました。
出産直前にもかかわらず、斉藤さんが快く受け入れてくださった時、私たちは本当に舞い上がるほど喜びました。なぜなら、本当に自然な出産の可能性を手に入れただけでなく、頼れる産院がないという状態で、私たちは大きな不安につぶされそうになっていたからです。
それから2週間経った日の朝7時、突然妻に陣痛が訪れました。いよいよという楽しみと、試練に立たされるような緊張が走ります。ここで「陣痛が始まったらゆっくり準備を」と聞いていたにもかかわらず、すでに5分間隔で陣痛が来ていたため時間が無いことを悟りました。まずは斉藤さんに急いで来ていただけるよう電話でお願いをしました。陣痛があまりに痛いらしく、妻が不安を訴えるようになったので、妻が安心できるように声をかけながら、布団・シーツを敷き、タオル類を並べ、結婚式のために一緒に作ったお気に入りCDを掛け、最も落ち着いて出産できるような環境づくりを行いました。一通り準備を整えた頃には、陣痛は3分間隔になり、かなり時間が迫っていましたので、後は妻の気持ちが楽になるよう手を握り、横についていました。血が出てきたときはどうなるかと思いましたが、義母に続いて斉藤さん達が急いで来てくださり、9時に我が家へ到着してからは妻は本当に安心することができたらしく、出産に集中することができたようです。陣痛の間隔はさらに狭まり、ゆっくりと確実に出産の瞬間は近づいてまいりました。
「ほら、もう頭がみえてる」と斉藤さんに教えてもらい、朱莉の頭の先端を見た時、私は初めて自分が父親になった事を悟り、背筋がゾッとしました。妊娠中は、自分がもう父親だと頭ではわかっていても実感が湧いていなかったようです。頭の先端を現実に見た瞬間は私にとって朱莉との初対面であり、紛れも無く自分の子供が実在することを体で認識したからです。後は五体満足であることを祈りながら、徐々に出てくるのを見守りました。
妻は出産の間、本当によく頑張りました。私も応援に力が入ります。一緒に出産しているというこの一体感は、以前の産院では味わえないはずのものでした。そしてこの高揚は、午前11時に朱莉が産まれた時にピークに達しました。朱莉が産声を上げた時、私たちの気持ちは大きな幸せと充実感でいっぱいに満たされました。
体重が2.4kgであった朱莉は、通常だと保育器に入れられてしまいます。しかし、38週で自然に産まれ、親同様小さいだけでどう見ても健康そのものである朱莉には保育器は不要です。斉藤さん達が大仕事を終えられ帰られた後も、次の日も、さらにその後の日も、私達3人はずっと一緒に過ごし、幸せの余韻に浸ることができました。毎日、朱莉と3人で寝たり、朱莉のうんちの色が変わっていくのを見たり、必要な時間に必要な量のおっぱいをあげたりできるのは、本来普通のことの筈です。しかし、産院では子供が健康であっても保育器に隔離され、胎便の色を親が知らず、決められた時間に決められた量の粉ミルクを与えられ、お父さんが初めて子供を看護婦さんに見せられるといった現実を考えると、あまりに不自然な気がしてなりません。しかもこれらの経過を赤ちゃんは覚えているらしく、そのときに受けた気持ちは少なからず一生ついて回るものでしょうし、この時に失った時間は一生取り戻すことができません。最も自然に近い自宅出産を選んで、私たちは本当に良かったと思います。
自宅出産は今やハイリスク(大きな冒険)・ハイリターン(大きな見返り)なのかもしれません。近年は、医学が進歩しているにもかかわらず異常出産が多く、昔よりリスクが大きくなっていると思います。その原因は、間違った健康管理により本来ローリスクであるはずの出産をハイリスクにしてしまっている私たちにあるのかもしれません。しかし一般的な出産は、近代医学で目に見えるリスクを押さえ込むあまり、精神的に大きな利益を失ってしまっている思いがしてなりません。そのリスクを健康管理で最小限に留め、実現したときのリターンは、妻・子供・夫全員にとって比べ物にならないほど大きな精神的喜びだと思います。その結果例え運悪く切開となったとしても、それまでの努力は全く無駄なものではないと思います。
この喜びは、昔から人類が得てきた普通の事の筈です。健康管理を大切にし、現代の産婦さん・お父さん・子供に是非このかけがえの無い喜びを実感して欲しいと思います。
最後に、出会いの場を作ってくれた市役所、体験を伝えてくれた友人、情報を与えてくれた番組やインターネット、市民病院のバックアップ、そしてなんと言っても理想の出産を実現させてくれたバースハーモニー、その他の因果関係全てに感謝します。これらの一つでも欠ければ今の私たちはあり得ず、必然の出会いであったのではないかと思えてなりません。
助産婦から…
えみこさん、自然誕生おめでとう!
初めてのお産なのに、あんなに早く進むなんて、私たちはドキドキでしたよ~!
電車の中でも走りたい気分でした。駅からタクシーに乗り込んだとき、道が混ん でいて、運転手さんに、『赤ちゃんが生まれそうなんです。私たち産婆です。』なん て言ってもしょうがないんだけど、言うだけで少し楽になれて、運転手さんもなんだ か一緒に、イベントに参加してくれて、うきうき急いでくれました。
やっと着いた時、もう少しで頭が見えそうなところでした。少し息むと、すぐに頭が 見え始めました。でも、初産婦さんはここからが勝負時。経産婦さんではあっという 間のプロセスですが、初めてのお産で、会陰切開をしないで待っていると、長い人で は6時間かかった人もいるほど、赤ちゃんはお母さんの身体にあわせて、傷つけない ように、やさしくゆっくり出て来ます。もちろん、切れることもありますが、待つこ とで最小限の傷で済みます。少し時間をかけてあかりちゃんもゆっくりでてきました ね。呼吸をとめないで、上手に出来ました。
御主人もお母様もとても自然に、愛溢れるサポートをしてくださって、私たちも幸せ を分けていただいた感じでした。 愛犬のトミィちゃんも、この日ばかりはそわそわしている様子でしたね。
食事のことも、きちんと守って、医療機関との連携もうまくいって、言うことなしの 『特急ハーモニー号』でした。 求めよ、さらば与えられん!ですね。
出来れば、もう少し早く、こちらにかかっていただいていれば、もっとゆったりバルー ンライフを楽しめたことでしょう。次の機会をお待ちしています!
<助産師 斉藤純子>
「流産、早産の後に…」 みちこさん 都筑区
横浜市都筑区在 みちこさん
あれは今から12年前。第一子が1歳を過ぎた頃、初めての子育てにも慣れ、何かしたいと思っているママ達が集まった時のことです。
「初めての妊娠だったから、なんとなく病院に行き、なんとなく医師や看護婦さん達に囲まれ、なんとなく子どもを産んでしまったけど、“良いお産”というのがあるらしいんだよね。」
「じゃあ、調べてみようか」
「どうせやるんだったら、調べたことをミニコミ誌にして、発表しちゃおう。」ということで、お産情報を作ることになりました。
そこでお産に関する書物を読み、産院等に取材に行き、初めて、助産師さんの存在を知りました! 分娩台にのるだけがお産ではないことも知りました! そして集めた情報をまとめ、ミニコミ誌を発行し、シンポジウムを開き…と、良い経験ができました。
そんな時に2回目の妊娠。でも、残念なことに、在胎6週で流産となってしまいました。その直後、またもや妊娠。そう、書き忘れましたが、第一子は、在胎24週、690gで生まれています。生死の境をさまよった後、一命はとりとめましたが、脳に障害が残りました。そして流産。だから、3回目の妊娠は、それはそれは大事にしたつもりでした。お産情報から得た知識で、その時、自分にできる最良のお産をするつもりでした。でも、第二子も在胎33週の早産で誕生。1970gあったので、特に問題もなく育ってくれたのは幸いでした。ただ、どんなに良いお産を知っていたとしても、わたしには、関係のない世界でしかなかったのです。こうして、わたしの妊娠歴は終わったものだと思っていました。
それが、7年後、妊娠したのです。喜びより不安の方が勝っていました。でも、自然なかたちでお産はしたいと考え、助産院に行きました。「気持ちはわかるけど、あなたのような人は、万一のことを考えて病院に行っておいた方がいいわ。臨月までもてば、母子手帳一冊で引き受けるから。」とのことで、病院にお世話になることにしました。きれいで新しくて、先生がやさしいと評判の個人病院です。とはいえ、流早産すれば、その子の生死、一生を左右するのは経験で知っています。だから、今回こそ、どうしても避けなくてはなりません。その方法として、マクロビオティックを始めました。食生活を一新し、徹底して玄米菜食をしたのです。すると、妊娠初期、67kgあった体重が、出産時には52kgになっていました。「本当に妊娠しているの?」と周囲に言われるほどのスタイル、身の軽さ。マクロビオティックの効果が確実にでていました。また、改めてお産に関する書物を読み、どんなお産にしようか夢がひろがったものです。
ただ、また流早産だったらどうしよう…という恐怖にも絶えず縛られていました。
同じように恐怖に縛られていた夫とよく口論になったものです。そんな口論の最中にお腹が張ってきて、入院したことさえありました。その入院も含め、切迫流産で2回の入院。早産防止の為にした子宮頚管縫縮術。その糸が何故かほつれ、再度、手術入院もしました。妊娠中期からは、ウテメリンというお腹の張りを抑える薬も飲みました。2回目に入院した時のことです。院長から、「あなたのような体質の人は、未熟児集中治療室のある大きな病院に替わった方がいいよ。」と言われ、やむなく転院。
その病院は、そこで出産する人しか扱ってもらえないところでした。
今度こそ絶対に臨月で産みたいと、更にマクロビオティックに励みました。飲みたくはありませんでしたが、薬も飲みました。そして、臨月が目前となった時、わたしは行動を起こしました。妊娠がわかった時に行った助産院に、手紙を書いたのです。今までの経緯、わたしの妊娠出産に対する思い…。「だから、そちらで産ませてください」と。OKをいただき、第三子にして初めての正期産を、その時、自分が考えられる最高のかたちで経験できました。もう一つ良いことがありました。当時、その助産院に勤めていた齊藤純子さんと知り合えたのです。純子さんは、わたしの手紙の思いをしっかりと理解してくれていました。その上、マクロビオティックの実践者でもあるので、産後は友人としてのお付き合いが始まりました。(あっ、お世話になった病院には、事後報告でしたが、お詫びの手紙を出しました。)
初めての正期産。しかも8年ぶりの赤ちゃん。「○○ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。」という言葉が自然と一日に何回も出てくるような日々でした。そんな時に、またもや妊娠。どんなマタニティライフを過ごそうか、どんなお産にしようか…夢がふくらみました。でも、自宅出産をする覚悟まではできず、また助産院で産むことにしました。前回、正期産ができたことで自信がついたのでしょう。「また、流早産だったらどうしよう」と考えることはありませんでした。よく出歩きましたし、旅行にも行きました。妊娠6ヶ月まで授乳も続けました。お腹の中で子どもが育っていくのを実感し、感謝する日々でした。
妊娠7ヶ月を目前にしたある日、調子にのって、マクロビオティックでは言語道断のアイスクリームを食べてしまいました。途端にお腹が張ってきました。慌ててお世話になっている助産院に電話をすると、「すぐに、病院でみてもらってください」と返ってきました。病院に行けば、入院して24時間体制で点滴。最悪の場合は、手術……。それはイヤ! すがるような思いで純子さんに電話してみました。「もうっ、あなたみたいな体質の人は、アイスなんて食べないの!! すぐに濃く作った梅醤番茶を飲んで安静にしてみて」 この純子さんのアドバイスのおかげで、お腹の張りは収まりました。この一件が転機となりました。わたしのことをよく知っている純子さんと一緒にお産をすることに決めたのです。
坂を転がり落ちるという言葉がありますが、純子さんと産むと決めてからのわたしは、坂を駆け上るように良い方向に進んで行きました。しっかりとコミュニケーションがとれている人とお産ができるということで、わたしは、大きな安らぎを得ることができました。バースプランも言いたい放題。それを純子さんは、快く受け入れてくれました。そんな純子さんに迷惑はかけたくないし、病院でのお産は絶対避けたいと、体調管理に今まで以上に気を配りました。妊娠中期以降、時々、お腹が張っていたのですが、気にしないでいると、いつのまにか収まっていました。
また、母親学級のひとつであるブリージングに参加できたことも大きな収穫です。ブリージング・トレーナーの前田さんが、「お産は、痛くて辛いものと伝承されてきましたが、これからは、楽しいものと伝えられるようになって欲しい」と話してくれました。「わたしのお産は、どう楽しくなるのだろう」とワクワクしてきたのを覚えています。また、ブリージングをしたおかげで、自分の良い面も悪い面も深く知ることができ、自分と周囲の人が愛しく思えるようになりました。
さて、今回のお産ですが、陣痛から始まりました。夜半過ぎ、陣痛に気付いて目覚めた時には、8分間隔になっていました。すぐに夫を起こし、まずは、大きなお腹に手を当て、微笑むわたしを写真に撮ってもらいました。それから、純子さんに電話。助産師の真美子さんと来てくれることになりました。
「1回の陣痛は、どんなに長くても2分。」と、前田さんから教えてもらっていました。8分間隔ということは、痛みのない時間が、少なくても6分はあります。病院や助産院でした過去3回のお産は、この痛みのない時間は、次の陣痛が来るまでの待ち時間でしかありませんでした。でも、今回は違います。自宅で忙しく家事をして過ごしました。この陣痛の後は何をして過ごそう?と、考えていると楽しいこと! まるでイタズラっ子になったようで、陣痛の痛みも、あまり気になりませんでした。陣痛が終わると、ご近所への迷惑も考えずドタバタと動き回る…… 拝臨、破水後は、さすがに動き回りませんでしたが、陣痛が終わると、パッと気分が変わり、もうすぐ赤ちゃんに会える喜びでワクワクしていました。
陣痛に気付いてから2時間半後、第四子、宙が誕生しました。すぐに、臍の緒がついたまま、わたしのお腹の上にのせてもらいました。臍の緒がついたままというのは、誕生後しばらく、赤ちゃんが完全に自力呼吸ができるまで、臍の緒は働き続けるからです。そして、お腹の上にのせてもらったのは、あることを試してみたかったからです。「エスキモーの赤ちゃんは、生まれるとすぐに母親のお腹の上にのせられ
る。すると、母親の乳房まで腹ばいをし、乳首を吸い始める」と聞いたことがあり、我が子で同じことをやってみたかったのです。かわいい産声を何回かあげ、しばらくしてから宙は手足を動かし始めました。その力強いこと! わたしのお腹が痛くなるほどでした。1時間近くかかり、乳首に到達。新生児の偉大な力を見せてもらいました。
お産の立会いが2度目の上の子ふたり。陣痛時のわたしの唸り声にも驚くことなく、見守ってくれました。宙が生まれてからは、やさしく宙への愛情を表現していました。
2歳になったばかりの第三子。思いもつかないことの連続に、その日一日、わたしのそばに近寄ることができませんでした。翌日、宙の頭をなでた時のやさしい手つき! 嬉しそうな顔! 忘れることはないと思います。
夜遅く、仕事から帰ってきて数時間もしないうちに、「お産が始まる」と起こされた夫。「疲れた」「大変だ」と言いながらも、生き生きとした顔をして、家族のために働き続けてくれました。「自宅出産をして、一番大変なのは、あなただったんだね」と言うと、「そんなことないよ。一番大変なのは産んだ人。それに、純子さんと真美子さん。助産師さんの仕事って、たくさんあるんだね。今回、初めて気付いたよ」と返ってきました。
そう、純子さんと真美子さんには、本当にお世話になりました。ふたりのおかげで、今回、初めて、「お産の主役は、母親と赤ちゃん」ということを実体験できました。お産が早く進んだのも、楽しくできたのも、ふたりのおかげです。
過去三回のお産。回数をかさねるごとに、自分なりに納得できる良いお産になったと思っています。ただ、「産ませてもらった」という思いが、どうしても残っていました。今回は、自分の産む力、宙の生まれる力がひとつになり、それに、純子さん、真美子さん、家族の手助けがあり、誕生を迎えることができました。満足のいく最高のお産だったと思っています。
先日、ある集まりで自己紹介をした時のことです。「わたしは、4番目の子を、自宅で楽しく産むことができました」と、話している自分がいました。流産早産の経験を持ち、かつて、正期産は夢のまた夢、と考えていた、わたしが、です。人生、何が起こるかわからない? いいえ。大袈裟なようですが、「自分の思いひとつで、良い方向に進める」そんな経験ができたと思っています。
助産婦から…
みちこさん、本当におめでとう!
奇跡の体験!何度読んでも涙がでてくる。本当にすごい体験だね。初めて助産院で出会った時のこと、今でも良く覚えています。ファックスを読ませてもらっていたので、どんな人だろうとわくわくして病室を訪ねました。無事に生まれて本当に良かったって思いました。その後、わが家のお料理教室に参加してくれて、交流が始まりましたね。で、またもや宙ちゃんを妊娠した時は、びっくりしました。体質が変わっていく様子を間近に見ていて、本当に良く頑張っているなって感心していたんですよ。自宅出産の決心を聞いた時には、すごく嬉しかったです。お手伝いできることも、もちろんですが、ご主人との関係やご家族との関係がすごくいい感じになってきてるのが伝わってきたからです。喜びが伝わってきた。嬉しかったです。そして、今のみちこさん!!!すごおく輝いてる!いきいきしてる!陽性な体質に完ぺきに変身しちゃった~!すごいね!これからも、自分の人生をいきいきと輝いて過ごしてくださいね。そして、また、バースハーモニーにも遊びに来てくださいね!
<助産師 斉藤純子>
「身体と心の健康、そして迎えた至福のとき」くみこさん
はじめに、私は平成15年に一人目を産院で自然分娩、そして平成20年に二人目をバースハーモニーでお世話になり自宅にて自然出産しました。
ついこの間まで子どもは病院で産むものだと思っていました。一人目のとき、私は迷わず、そして当たり前のように産院にかかり出産。太りすぎてしまったことを除けば、妊娠経過もよく促進剤や多くの医療行為を受けることなく無事出産することができましたが、当初から懸念していた会陰切開においては選択の余地なく免れることはできませんでした。そしてそれが後に出産にたいしてマイナスなイメージを抱く要因となったことも否めません。
赤ちゃんに出会えたことは本当に嬉しかった!産まれて間もないわが子を抱き、お乳をあげ、この先この小さな命を育てていくんだと母となったことを実感したときには、これまでにない感動と希望で胸がいっぱいになりました。でも一方では、出産なんて懲り懲り、こんなに恐ろしい体験をするなんて…そう思ってしまったことも事実でした。そしていったいどうして恐ろしかったのか、今にになって考えてみると、出産に対してあまりにも無知だったからなのかもしれないと思います。
陣痛の合間も不安でいっぱい、病院についてからも看護婦さんに誘導されるがままに動き、気がつけば分娩台の上。看護婦さんは慌しくさまざまな準備で動き回り、そして言われたとおりにやらなけらばならないという状況の中で必死に頑張るのみでした。唯一産まれる瞬間だけスルリと赤ちゃんが出てきた感触に気持ちよさを感じましたが、それと同時に怒涛の苦しみから解放され「終わったんだ」ということを知りました。その後は、少し離れたところでわが子が泣いていることに気づきました。
臍帯の切断、気道吸引、そして計測などでしょうか、そして私にも点滴の処置、なにやら看護婦さんたちが慌しく動いているのを眺めながら、この子が私の子なんだと静かに眺めていたことを覚えています。一通りの処置が済んでようやく私の元に連れてきてくれ、ようやく胸に抱けたわけですが、そのときは、やっと手元に…そんな思いでした。でもこれが当たり前なんだと思っていました。写真を一枚だけ撮ってくださり、その後赤ちゃんは新生児室に連れて行かれ、私は会陰の縫合。次に赤ちゃんに会えたのは6時間後くらいだったと思います。
自宅出産、初めて友人からその言葉を聞いたときには耳を疑いました。まさか?!うそでしょう?そんな感じです。そして当然自分には有りえないことだとも思いました。だからそのとき友人がいろいろ話してくれたことなど、記憶にも残らなかったような気がします。ところが、その数ヵ月後に二人目を妊娠し、さて今回はどこで産みましょう…と考えたとき、ふと以前耳にした「自宅出産」という言葉が脳裏をよぎりました。なぜかすごく気になったのです。そしておもむろにインターネットを開きバースハーモニーを検索。ホームページに書かれている情報を食い入るように魅入ってしまいました。
そこには私の知らないお産があったからです。自然出産、赤ちゃんの生まれようとする力、私の産もうとする力…そして家族とともに住み慣れた家で赤ちゃんの誕生を迎えるということ…絆、すごい、すごい素敵だなぁ…と胸が温かくなっていったのを覚えています。フォトログを覗くと穏やかなピアノの曲とともに自宅出産の画像が流れ、そこから離れられなくなってしまいました。涙も止まらない。こんなお産ができたら、なんて幸せなんだろう…それは私が自宅出産を心に決めた瞬間でもありました。
初回妊婦相談で純子さんにお会いしてからは私の生活が激変。初期に身体を綺麗にするためとのことで勧められた半断食に始まり、呼吸やお散歩のこと、今まで無意識に、そして無頓着に過ごしてきた自分の生活を見直すよい機会をいただきました。特に後期にかけては、みるみると身体の変化を感じながらの毎日でした。その根本には、バースハーモニーの指導のもと自分自身が選択し身体つくりをしていく必要があったのですが、私の場合は今までが何も気にしないのんきな生活だったので、目覚しい変化がありました。
私が大きく影響を受けた身体つくりのひとつに穀物菜食、お砂糖断ちを徹底する食事制限。それから自然治癒力を引き出すための整体。さらには心を楽に健康にできるブリージング。最後に産後の身体に優しい過ごし方。と、どれも欠かかすことができず、いろいろありますが、その貴重な体験をお話させていただこうと思います。
はじめに食事制限ですが、バースハーモニーで薦めてくださった玄米酵素を摂りながら、動物性をなるべく控え、お砂糖を断つことで、日々の体調もよく精神的にもすごく安定しました。そして肌が回復!なんと万年おでこにあった吹き出物がなくなり、10数年悩んできた足裏の角質がよみがえったのです。これには目から鱗の思いでした。お砂糖断ちは、料理法に悩み、禁断症状?!まで出て辛くて苦労もしましたが、その甲斐あってか出産時の出血量も50ccと少量で抑えることができ、また止血剤を使うこともなく自分の力だけで止血できたことは身体の自信にもつながりました。
それから体重。一人目の妊娠中、過食を抑えることがきず18キロも太ってしまった私は、横綱のような臨月を送りました。産後も7キロ残ってしまいました。ところが、バースハーモニーの皆さんに支えてもらいながら頑張った食事制限と玄米酵素のおかげで、多少の増減はあったものの最後6.5キロの増加で抑えることに成功。産後3ヶ月経った現在は妊娠前より10キロ減。これは一人目の出産前の体重以下に戻ることができたのです。
次に自然治癒力を引き出すという整体。初めて受けたときはあまり実感もなく、よくわからないままにいました。でも今思えば、実感がなかったのではなく、私自身の身体の感受性が鈍かったのかもしれません。井上先生には命を育てていることを忘れずに、常に赤ちゃんを感じて過ごすことの大切さを学び、また身体の声に耳を傾けるということを教えていただきました。私の場合、最初から最後まで目が疲れているとのご指摘を受けていたのですが、目と骨盤が連動しているため、とにかく目を休めることを大前提だとご指導いただいていました。
さて、8ヶ月に入る頃、私は恥骨が痛み出しました。特に夜中、明け方は骨盤が緩むため歩くのもやっとの激痛。井上先生にご相談し整体を受けると、やはり目の使いすぎとのご指摘。言うことをきかずパソコンやテレビをやめられないでいたので当たりまえです。施術後は身体にだるさを感じ、全身が温かかい感覚がありました。そして不思議なことにその日の夜には恥骨の痛みは消えていました。あれほど痛かったのに…
さらに、臨月に入った頃にも同じような体験をしました。それはうっかり縫い物をしてしまった時のこと。15分程度でしたが、その直後動けなくなってしまいました。ひどい坐骨神経痛で立つことも歩くこともできなくなり、あまりの激痛に脂汗が出ました。翌朝一番で純子さんに電話をし、ご相談すると、ただでさえ出産に向けて骨盤が緩み、パンパンになっているところに縫い物なんてしたら神経を簡単に圧迫してしまうのよ…と。目と骨盤の連動…改めて、身を持って体感した出来事でした。激痛は翌日になっても消えず、主人の肩を借りないと思うように動けないほどでしたが、幸い、すぐに整体を受けることができ、夕方には回復。2~3日で痛みはほとんどなくなりました。まったく一人では動けなかったほどなのに…
そんなわけで、私は整体によってたびたび救われてきました。出産前も何度か施術していただいたお蔭でスムーズにお産を終えることができたのだと感じています。そして、産後は骨盤矯正をするために起き上がりを実践。骨盤が縮む波にあわせて2週目、3週目、6週目と整体を受け、その甲斐もあってか、妊娠前よりベルトの穴3つ小さくなるほど骨盤の戻りを実感できました。また、井上先生にお会いするたびに、身体の声に耳を傾け、自然の力を感じて生きることの大切さも教えていただきました。とても感謝しています。
それから呼吸の教室、ブリージングにも沢山の学びと感謝の気持ちでいっぱいです。はじめは、どんな教室なのか検討もつかずに参加したのですが、そこには自分の心と向き合う不思議な空間と幼少期にまでさかのぼるタイムスリップのような時間がありました。これまでの人生で、心の奥底に仕舞いこんでいた思いや、その時々の感情の根っこ、それらをたまたま同じ時を過ごしたメンバーたちとともにシェアし、自分の中から手放していくこと、そうすることでみるみる心が軽く、健康になっていくのを感じることができたのです。しかも、始めなかなか興味を示さなかった警戒心の強い主人までもが、引き込まれていく様は目を疑うほどでした。
主人は一人目も立ち会うこともなく、当初自宅出産においても反対だったのですが、このブリージングを通して私たちの仲にも大きく影響しました。具体的には、陣痛についてのお話は当日の私たちの不安を取り払ってくださいましたし、それだけではなく、むしろお産が楽しみで楽しみで仕方なくなりました。
一人目の出産時に「もう懲り懲り!」と感じた私が、こんなにもお産が待ち遠しいと思えるなんて不思議でした。そんなわけで30週を過ぎたくらいからお産部屋を作ることが私の生きがいになっていきました。必要なものを揃え、好きな雑貨を集め、BGMを決め、そして家族の歴史の思い出の品を飾りました。さらに身につけるものも変わりました。持つものも変わりました。すべてがピンク色のものに引き寄せられ、自分自身が幸せに包まれていくのを感じていました。そして臨月に入る頃にはすべてが揃い、もう部屋はいつ陣痛がきてもOKという状態。シーツの下にビニールまで敷いてあったほどです。毎日お腹の赤ちゃんに「ここで生まれてほしいな」そう伝えていました。
お産当日はブリージングのことが常に頭にありました。ですから、何も不安はありませんでした。それどころか、楽しみなわけですから、自分のペースで呼吸をし、陣痛を味わいながら、そのときを待ち望む時間。なんとも気持ちのいいお産でした。主人も肝が据わっていたというか、終始リラックスしてお産を見守っていてくれました。握ってくれた手は温かく、力強かったです。そして終わってしまった後に感じたことは、至福感の絶頂とともに、終わってしまった寂しささえ感じたほどです。いろんな意味で、ブリージングの前田まさ先生にも本当に感謝しています。
最後に、産後の過ごし方。これも本当に貴重な体験をしました。そして身体に優しい産後を送ることが出来ました。後産のあと、骨盤が元の位置に戻るのを待つために行う起き上がりは、ベッド上排泄(私は紙おむつを使用)をすることになります。出産まえは受け入れがたかったものの、30年ぶりに実母にお願いした私のオムツ替えは思ったよりすんなり受け入れることができました。むしろ身を任せてお世話してもらうことで母娘の絆も深まり、結婚後はじめて母に甘えた私は蟠りも反発心も消え、心から素直になれた時間でした。
また、初めて実感したオムツの不快感。これは後の育児に大きな影響がありました。排泄後は当然気持ちが悪く、早く新しいものに変えて欲しいという気持ち、早く布のパンツを穿きたい、そしてトイレで排泄したいという気持ち。私の場合は起き上がりまでに3日かかりましたが、通常のパンツを穿いたときの安心感といったら忘れられません。まさに自分が体験して赤ちゃんの気持ちを知ることができたのです。これはとても貴重な体験でした。そんなわけで、今は赤ちゃんのオムツをせっせと取り替える毎日です。
それから産後の食事は、1週間、朝も昼も夜も玄米粥の生活です。少しずつ食べるものを増やしていくものの徹底した粗食です。でも、この粗食が実に美味しいかった。産後の身体が癒され、胃に沁みていく感覚は今でも覚えています。しかも、この粗食がおっぱいをほどよい状態にしてくれ、カロリーを摂りすぎパンパンに張ることもなく、自然に過ごすことができたのです。さらに、傷や子宮収縮の回復もとても早く、悪露もすごく少量だったのには本当に驚きました。
こうして、私はバースハーモニーでの保健指導や整体、ブリージングを通して、妊娠中から身体も心も健康になることができ、安心してお産に望むことができました。今になっても続いているこの習慣は、私の財産になりました。
お産当日。何より家族で迎えた自宅出産は感動的で素晴らしいものでした。日ごろから温かく見守り、指導してくださった純子さんはじめ、信頼できるバースハーモニースタッフの方々の助けを受け、自分の一番リラックスできる家で、好きなものたちに囲まれ、好きな曲をかけ、好きな体勢で迎えたその瞬間は至福の時間でした。陣痛は誰かに指示されていきむわけでもなく、痛みもおやすみも味わいながら、ただただお腹の中から生まれ出ようとする赤ちゃんの力を感じることができました。
私は赤ちゃんへの酸素を送りつづけ、その生まれ出ようとする力を感じていきむタイミングを合わせるだけ。身体の中から沸き起こる自然のなりゆきに任せるだけでよかったのです。そして、そこにいるみんなの気持ちをひとつに、赤ちゃんの誕生を迎えました。へその緒で繋がれたまま赤ちゃんを胸に抱いたときは本当に愛おしかったです。まさに至福のとき。その瞬間から赤ちゃんとは片時も離れることもなく、傍で過ごすことができた幸せ。
こんなにも幸せな気持ちで満たされる出産があるのかと心から感動しました。その後、臍帯を切るまでにかかった時間は1時間半。その間、赤ちゃんはお腹の上でほにゃほにゃと眠っていました。その命の温かさ、重みも一生忘れられません。穏やかで幸せな時間でした。
臍帯血が全部赤ちゃんの中に入るのを待ち、拍動が止まったところで臍帯の切断。これは主人と上の子にお願いしていました。いつになく緊張した面持ちの息子は、主人と一緒にしっかりと私と赤ちゃんの命綱を切ってくれました。10ヶ月間お腹の中で繋がっていた赤ちゃんの初めての自立。しみじみと感じました。
この日は、新しい家族が増えた日。私たちが4人家族になった日。上の子がお兄ちゃんになった日。私が二人の母に、主人が二人の父になった日。家族の絆が深まった日。いろんな記念日です。幸せで楽しい一日でした。
その後、綺麗に洗って小さく切った胎盤を家族みんなでいただきました。始めは抵抗がありましたが、それはそれはとても美味しいものでした。赤ちゃんに命の栄養を送り続けてくれた胎盤。しっかりと大役を果たし、最後に私の産後の身体も癒してくれました。
現在は5歳の息子とこうして生まれた3ヶ月になる息子の成長を楽しみながら、毎日育児を楽しんでいます。授乳もありますし、食事は現在も穀物菜食中心、お砂糖断ちの生活を続けています。呼吸も意識するようになりました。身体の声も聞けるようになった気がします。いろんな意味で感受性がよくなり、健康な毎日です。長男も自然に赤ちゃんを受け入れ、とても可愛がってくれています。主人も育児に協力的です。家族みんなで乗り越えた今回のお産。絆が深まったことは言うまでもありません。そして生まれた子も穏やかにすべてを受け入れ、安心しきっているように感じます。
この数ヶ月間、学び多き、実り豊かなときを過ごし、私の人生感はすっかり変わりました。お産に対しての考え方も変わりました。命の誕生の素晴らしい瞬間をもう一度…そんな思いからもう一人、いやもう二人…そんなことばかり考えている今日この頃です。
最後に、素晴らしい体験と沢山のギフトを贈ってくださったバースハーモニーの皆様に心から感謝しています。それとKazzさんに撮影していただいたお産の写真は一生の宝物です。きっとこの先この写真を見るたびにこの日の感動が蘇り、心の糧にできることと思います。沢山のことに心から感謝しています。これからも多くの方々が幸せなお産を迎えられることを心から願っています。バースハーモニーの皆様の幸せを祈っています。素晴らしいサポートをありがとうございました。

