コラム「自然誕生」  
  コラム「自然誕生

赤ちゃんの産まれてくる力を信じて


「自然分娩」「自然出産」という言い方をよく耳にします。
「分娩」と「出産」はどう違うのでしょう? そして「誕生」は? 言葉が違うのですから、きっとそれぞれに違う意味があるでしょう。「分娩」「出産」「誕生」・・・ 広辞苑をみると、どれも「子供がうまれること」としか書かれていません。ですから、ここからは私の解釈です。「分娩」という言葉を考えてみると、分娩室、分娩監視装置、分娩台、分娩介助、分娩管理、という言葉が表しているように、主体となっているのは、介助者(助産婦、医師等)です。
 
「出産」はどうでしょう。自然出産、自宅出産、出産する・・・ 主体は、母親です。
では「誕生」は? 誕生する、誕生日・・・ そう! 、生まれてくる赤ちゃんが主体です。


絵:もりまきこ


自然に産みたいという願いは、紛れもなく母の想いです。でもそれ以前に、自然に生まれたい赤ちゃんの想いを感じているのは私だけでしょうか? いえきっとそう感じている方もたくさんいらっしゃることでしょう。「自然誕生」という言葉は私の造語ですが、そんな思いを込めた言葉です。
 

お母さんと胎児


妊娠中に食の好みが変わったり、静かな音楽を聞きたくなったり、家の中のちょっとした日だまりに心地よさを感じたり、今まで読んだこともないような本を読みたくなったり、絵本を読んでいるうちに涙があふれてきたり、あきらかに、妊娠前の自分と違う状態に戸惑いつつも嬉しさを感じた経験を、多くの人がもっているのではないでしょうか。
 
日々の生活の中で、お腹の赤ちゃんはいろんなメッセージをくれます。いつも一緒にいて、お母さんに話しかけています。母親も、常に心の中で話したり、声に出して話しかけたり、まさに一心同体です。夫婦げんかをすると心配してくれたり、母親に気付かせたいことがあると、逆子になってみたり、問いかけると、合図をくれたり・・・
 
赤ちゃんは、いつでもお母さんと一緒に生きて、いろいろなことを感じています。
赤ちゃんから見た出産
赤ちゃんにとって「生まれる」というのは一体どんな体験なんでしょう? あなたは自分が生まれてきたときのことを覚えていますか?ちょっと想像してみましょう。
 
おなかの中は、暗くて、あったかい。羊水の中で、プカプカしながら、安全に守られてきた赤ちゃん。それはそれでとても快適だったんだけれど、近頃、伸びをしてもすぐにつっかえるし、どうも窮屈だ。もっと広いところへ行きたいなあ。そしてお母さんに合図して、陣痛が始まります。
 

赤ちゃんは、狭い産道を決死の覚悟で降りてきます。少しでもお母さんに負担をかけないように、骨盤の一番広いところに自分の頭の大きい部分を合わせるように回転しながら降りてきます。お母さんがすることは、赤ちゃんに酸素を送り続けることだけ。身体の力を抜いて細胞に血液を送ること、呼吸を止めないで血液に酸素を取り込むこと。周りには、励ましてくれる家族や、介助してくれる人々。その方達の優しい気持ちを赤ちゃんもきっと感じています。そして、ついに「誕生」の時をむかえます。
 
「なんて自由に手足が伸ばせるんだろう!苦労したかいがあったというもの!」 そして実は、この瞬間に、赤ちゃんは人生最初の学びを得るのです。すなわち「自分で呼吸する事」です。
 
 

生まれて初めての呼吸


それまでは、お母さんから、へその緒を通して酸素をもらって生きていた赤ちゃん。ここからは、自分の肺で呼吸をしなければなりません。肺にたまった液を出して、空気を吸い込む。一大事だけど、自分で出来るのをお母さんは待っていてくれます。
 
生まれて数分間は、へその緒が拍動を続け、赤ちゃんに酸素を送り続けてくれるからです。そして、やさしく呼吸が始まります。泣き叫ぶ必要などなにもないのです。お母さんは、しっかり抱いてくれています。とても幸せな気持ち・・・。そしてそれがお母さんにとってもまさに至福の時間です。
 

お産と医療行為


当たり前の事ですが、妊娠から出産への一連の過程は病気ではありません。自然に経過しているかぎり、赤ちゃんはパニックになることなく、自分の力で誕生し、人生第一歩の大きな学びを得る事ができます。「どんな困難でも、自分の力で乗り越えることが出来るものだ。そしてその後は、すてきな事が待っている。」と。
 
でも、実際には妊娠と同時に多くの人が当たり前のように病院に行き、数々の医療処置を受け、お産とはこういうものだ、と何の疑問も抱いていないのが現状ではないでしょうか。
 

本当の自然出産・・・


「自然誕生」の最大の重要事は「呼吸の自立を妨げないこと」にあると私は考えています。病院では、自然の経過を妨げうる数々の処置がなされます。その中でも、臍帯の早期切断と、気道吸引は、赤ちゃんにとって、「ちょっと待って!苦しいよ!今自分でやろうと思ってたのに!」という思いを抱かせる最初の行為となるのではないでしょうか?
 
子供を産むために、殆どの人は産婦人科へ行き、一部の人が助産院へ行き、ごくごく一部の人が、自宅で産むことを望んでいます。それぞれにいろいろな事情があって、産む場所を選ばざるを得ません。しかしその中でも、自分の意志をはっきり持つことが、まず大切だと思います。そして、自分の希望を、相手に伝えること。形ではなく、心です。そして、可能なかぎりの努力を惜しまないこと、許される範囲で、最大限の努力をすれば、きっと、赤ちゃんもわかってくれるでしょう。
 
昔は、といっても、それほど遠くない4、50年程前までは、日本の全ての人が自宅で産んでいました。ところが今は、殆どの人が、自宅では産みません。私が受けた助産婦教育も、病院でのマニュアル通りの出産が主です。手順を覚え、手際よく処置をこなしていくことは、必然です。万が一の危険に対して、万全の備えをしています。手順通りにやっていれば、とりあえず医療従事者としては安心です。いざとなったら緊急手術も出来ます。
 
でも・・・、出産は病気ではないんです。これらは一部の人にだけ必要な処置なのです。
 

自然に産める人、産めない人・・・


自然に産みたい、自宅で産みたい、と思っても、全ての人がそう出来るわけではありません。助産婦としての立場から言わせていただくと、まず何よりも、本人の意思と、それを理解し協力してくれる家族がいること、それから妊娠経過が順調であること、出産時異常を予測されるような要素がないこと、全身の合併症や感染症が見られないこと、既往妊娠出産歴に異常がないこと、児頭が骨盤より小さいこと、胎盤の位置が正常であること、などがあげらます。
 
ですから、前置胎盤、児頭骨盤不適合、多胎、骨盤位、横位、早期産、過期産、内科的合併症を持つ人などは、病院にかからなければなりません。また、異常の無い場合でも、万が一に備えて、妊娠期間中から信頼できる医療機関と連携をもつことが、とても大切です。
 
そしてもう一つ、未病を防ぐため、より質の高い健康を目指すため、「食」は何としても外せません。「食」と「お産」とは、とても重要な関係があるのです。